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きもちのわるいうた

2012-10-21 (Sun) 23:22
例えば楽しい経験、嬉しい出来事を体感した時、人は何をしたがるのか?


ブログに書くもよし、友人と語るもよし。

歌をうたうもよし、絵を描くもよし。


人それぞれ、何かしら感情を揺さぶられた時、「何かしたい(したかった)」と思うはず。

たとえそれが「悲しい」出来事、「辛い」経験だとしても。


試合で負けたから「悲しい」 → 練習したい(しておけばよかった)

上司に褒められたから「嬉しい」 → 仕事を頑張りたい



僕の場合「何かしたい」は、「漫画を描きたい」だ。


楽しいことがあったら明るいジャンル、

カッコイイ主人公と悪い悪党が戦って、か弱い女の子を助けるようなお話を書きたいと思う。


逆に悲しいことがあったら暗いジャンル、

人の心の汚さとか浅ましさ、精神的にエグい部分を淡々と見せていくようなお話を書きたくなる。


ただし、どちらにせよハッピーエンドで物語は終わらせる。




僕は気分屋だろうか?

キモい厨二でしかないのか?

いや大事なのはそこじゃない


本質的に見て、僕は幸せになりたいか?ということ。


人生っていろいろある。

例えば人生っていう年表があって、生まれて生きて死ぬまでの経験、記録が書いてあるとする。

その年表を他人のと見比べた時、他愛もなく

「え、お前2000gで生まれたの?ヤベー超ちっちぇー!」

「うるせーよ!お前こそ立ち上がるまで遅すぎだろwww」

とか会話するだろう。

で、よくよく年を追っていって、最後にとうとう死がある。

そこで気付く。


自分の年表は、ひどく、人間臭く見える。


なぜならそれは、まぎれもなく「自分」が生きて、「自分」で選んで、「自分」が決めんとしたひとつの人生だから。

生きてりゃ辛いこと悲しいこと悔しいことなんてなんぼでもある。

絶望して立ち直れない、生きてるのをやめたい、もうみんな死んでしまえ

そんな真っ暗な日もいくらだってある。

いくらだって過ぎるし。

いくらだって超えるし。

超えられなかったら年表はそこまでだし。



僕は、僕らは幾度となく超えてきてると思うんだ。

なのに、なのに対処法も緩和法も見つからない。

とっくに「慣れた」と言えるはずなのに。

「くそったれ」と投げかけて忘れたいのに!

そんなゴミみたいな話なら聞かなきゃ良かったって、人はなんで好奇心があるのだろうか!?







そういうとき僕はボツリと、ボタボタと、愚痴を垂れ流しながら

「死にたい」って言うんだろうな。



















ハッピーエンドは、描けないかもしれない。
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